外国語学部生Nikaの意識低いブログ

外国語学部生Nikaの意識低いブログ

学部のこと、勉強のこと、本や映画のことなどなど……多言語学習者、真面目系クズNikaの勉強ブログ!!

SNSを離れてみるということ

Здравствуйте! Nikaです。

 

今日はSNSを離れてみた話をしたいなと。

 

NikaはSNSアカウント大量生産型人間です。Twitterは5アカウント。Facebook1アカウント。VK1アカウント。とまあ、そんなにアカウント作って何すんねんって話ですわ。

 

そんな中でも一番使うのがTwitterの1アカウント。毎日何かしら呟いていました。

 

しかし、ふとした時に思ったのです。

これ、このアカウントに使う時間を減らしたら別のことできたんじゃね?

 

そんなわけで断Twitterしてみました!思い切ってツイートも全削除!!!

 

結論から言いますと、案外やればできるものです。

 

Twitterにイライラすることもなくなり(どの世界にも苦手な人はいるものです)、ストレスフリーに!

さらに空いた時間で本を読むようになりました。

 

とりあえず当分はこのまま断Twitterを続けてみようかな、と。もしまた何か別のことが起きたら(禁断症状などの異変が起きるなど笑)、お知らせしますね。

 

*本当にTwittert断ってますよ!(@nick_2525です笑)

 

ドラマや映画で語学学習って効率いいの?って話

Здравствуйте! Nikaです。

最近語学学習ブログな感じも外国語学部生のブログな感じもしないということで、久々に語学のことについて(笑)

 

ドラマや映画で英語とか勉強してるよって人、ちょいちょいいるのでは?

もしくはこれからやってみようかなって考えている人とか!

 

で、それって結局どのくらいの効果があるの?って話ですよね。

 

そこでですね!! Nikaが約1年間やってみた成果を発表させていただきたいと! 思ったわけです!!!

 

結論から申し上げますと、ドラマや映画のみでは飛躍的な成長は望めないのではないかという結果になりました。

 

まず、プラス面としては、

1)実際に自分がどのくらいその言語を理解しているのか確認ができる。

2)新たな表現を身につけるきっかけになる。

でしょうか。

 

1に関しては、ある程度単語などがわかるようになると、字幕と照らし合わせてさらに楽しめるかな、と。

2に関しては、あくまでもきっかけに過ぎないので、結局は個人の努力がものをいうということです(この点はマイナスにもなりうる)。

 

マイナス点としては、

1)前述の通り、単語や表現をドラマや映画の中から覚えるといっても、それも個人の努力による

2)短期間でなく長期間続けなければ、効果が出ない

 

1については前述の通りです。

2については、リスニング力などの向上が望めたとしても、それはある程度の期間継続するかどうかによるということです。

 

絶対に注意したいのが、字幕ばかり追いかけてしまい、言葉が耳に入らないという状況に陥ること。これでは本末転倒です。

 

ということで、何だかんだと書き連ねましたが、結論としては、ある程度の語学力のある人がスキルアップとして利用する場合に最も効果的な学習教材として機能しうるということだと思います。

 

なんだそりゃ感ありますが、現実は厳しいわけです。と、自分に言い聞かせているNikaでした。

 

*ちなみに、私はたくさんの映画を見たいと思ったので、Amazonのプライム会員になりました。他にもNetflixなど、定額見放題のサイトなどがあるので、とにかく言葉を耳に入れたいという人には、そういった会員制のサイトなどがオススメです!!

 

 

 

 

 

 

パスポートのサインをロシア語でしたら審議入りした話

どうも!Nikaです。

先日パスポートを更新しに行ったんですが、その時のお話をしようかなと。

 

皆さん、パスポートのサインってどんな風にしていますか。

ひらがな?カタカナ?漢字?ローマ字?

 

もはや文字ではないという人もいるかもしれないですね。

 

先日私もパスポートの更新に向かいまして、その際にサインをロシア語の筆記体で雑に書いたんです(笑)

 

というのも、風のうわさでパスポートのサインなんて何でもいいと聞いておりまして、まあ真似しにくいもののほうがいいだろうと思ったのです。

 

ロシア語の筆記体は英語の筆記体と似ていますが、文字の並びはもちろん違いますので、見ながらでないと書けないとなれば怪しいし、

ロシア人も日本人の名前を違わずに書くなんて技はなかなか難しいだろうと踏んだのです。

実際ロシア人はoとaをよく前違えるそうですよ。極端な例では、山田花子とかだと、「やまだはなこ」でなく「よもどほのか」と呼ばれることもあるそうで。

 

しかし、なんとパスポートの申請書(ロシア語サイン)を持っていきますと、書き直すように言われたしまったのです!!!

 

結局すべて書き直して(訂正がきかないので)持っていきました。サインは結局ローマ字で雑に書きました。

 

なんでも、パスポートのサインはクレジットカードのサインと同じであったほうがいいとか何とかで、日ごろ書いているものがいいということらしいです。

 

とはいえ、クレジットカードなんて持ってないし、日ごろサインも書くことなんてないのに、結構お役所というのはなんとも細かなことを気にするのですね。

 

実際に、ロシア語サインのパスポート申請書を持っていくと、なんとまあ、偉い人のところまで書類を持って行って審議入りしてしまったものですから、職員の方が読めるサインにするということも考えなければならないようです(職員さん、チャレンジングなことして申し訳ないです)。

 

ということで、パスポートのサインは漢字かローマ字で

パスポートセンターの人が読めるものでなければ受け取ってもらえないことがあるようですので、ご注意を(笑)。

そんな本読んで何の役に立つのって言われた話

Здравствуйте! Nikaです。

 

今日は例によって例のごとく例の友達に言われた衝撃発言シリーズです。

 

その他の発言シリーズは以下URL参照。

(http://nikastudy.hatenablog.com/entry/2017/05/17/001558)

 

今日の衝撃発言は、読書に関して。

 

好きな本は皆さんも自ら進んで読んでいるでしょう。しかし、時には自分が普段手をつけないような本を読むのも良いものです。

単純に勉強になりますし、案外気にいること(食わず嫌いだったとか)もありますよね。

 

私もいろいろな本を読むように心がけています。近代日本文学、現代英米文学、ロシア文学、エッセイ、伝記(あんまり得意ではないけど…)、評論、新書、学会誌、雑誌、論文、研究書などなど。まあ、ハズレももちろんありますけどね笑。

 

そんなこんなで本を読んでいたわけです。確かマックス・ウェーバーの『職業としての学問』だったかな。

すると、例のあの子がやってきて言うわけです。

 

そんな本読んで、なんの役に立つわけ?

 

何の役に立つのかを考えて本を読む人などいるでしょうか。

それでもこじつけるとすれば、自分のものに考え方を見直すきっかけになるとでも言えるのでしょうが、おそらくこの子の言う「役に立つ」とは、個人的でなく社会的にどう還元できるのかという話だと思われます(【文系学部不要論】参照)。

 

しかし、あえて問い直したい(格好良く言ってみる)。

あなたが好んで読んでいる乙女チックファンタジー小説は「何の役に立つのか」と(批判してるわけじゃないですよ、最後まで読んでくれ…)!!!!

 

Nikaは何でも読む雑食な人なので、もちろん小説も近代文学から現代の携帯小説オンライン小説まで浅く広く読んでいます。

なので乙女チックファンタジー小説ももちろん読んだことがあるわけですが、単純に楽しんで読みました。

 

きっとこの子だって、この場面のこのセリフは現実世界のこう言う世相を反映している可能性がある、この表現は社会問題の風刺だなどと考えて読んでいないでしょう。

文学講義や研究ではないのですから。

娯楽としての読書、大いに良いではないですか。

 

娯楽としての読書に功利などという野暮なものを持ち込んでは台無しです。

そんなに功利主義に凝りたいというのなら、ベンサムやミルの本でも娯楽で読んではどうでしょうか。

 

つまり、人の読書に口を出してはいけないということです。

あ、もちろんオススメの本は教えて欲しいですし、議論も大歓迎。でも意味などを問い初めてはいけませんよね(Nikaの個人的な意見でしかない)。

 

 

【文系学部不要論】お前、それ将来何の役に立つの?って言われた話(ちょっと考えてみる)

お久しぶりです!Nikaです。

言い訳はしません。ただブログを更新する気が全くなかっただけです(笑)

 

今日は文系学部不要論について。

 

私は何にでも興味のある人なので、あらゆる人脈をつかって色々な話を聞くのが大好きなんです。

高専の友達に工学の話をしてもらったり、数学科の友達に数学の話をしてもらったり(Nikaは文系の人間ですが)。さすがに医学部の友達はいないので、話聞けないんですが。

私が外国語系の人間なこともあって、国文科の友達の話も全然違って面白いですし、経済系や政治系の人の考え方も考えさせられるものがあります。

 

ここまでが前提。

 

それで、先日福祉系の友人に文学や歴史学文化人類学をしていると言う話をしたんです。情報は等価交換ですから、自分の話もある程度するのがいいと思ったわけですが、その子はすごく興味がなさそうで(ってそんなことどうでもいいですね)。

 

しかし、その友人から飛び出した一言。

「それ、将来何の役に立つの?」「意味あるの?」「社会のためになるの?」「得することって何?」

一言どころではないですが(笑)

 

1から10は語れませんが、実学志向の強い人ほど、文学や歴史学に興味・関心がない傾向にあるのかもしれないという印象を受けました。

ましてや、その子は福祉系。将来に直結する資格を取るために大学へ行っているわけですから、私のように資格も取れないのに文学や歴史をする人の存在自体を疑問に思っているとのことでした。

 

なるほど、確かに大学は就職予備校との批判が近年よく取り上げられています。

資格も取れないのに大学へ行くのは、社会にとって非効率かもしれない。もしくは、ただ遊ぶために大学へ行っているとも取ることができるかも。

 

だからと言って、文学や歴史学文化人類学を蔑ろにしていいものでしょうか。

 

文学も含めた文化や歴史軽視は、国自体を軽視することに繋がらないでしょうか。

極端に言い換えれば、先人の行いや思想を学ばず、反省しないということにもなるかもしれません。

文化人類学だって、結局のところは異国の文化研究から自国の文化の自省へと行きつきます。

 

また、あまりにも文化や歴史を軽視する風潮が高まると、書物として書き残さなかったり(まずないと思いますが)、もしくは伝えていかなかったりして、未来へ自分たちの文化や歴史を継承しないようになるかもしれません(96%そんなことはないと思いますが)。

 

実学はその時に役に立つ。ですが、根底にはいつだって文化や歴史の流れがあります。何が実学であり得るかというのは、その時の文化や社会の様子、経済状況など(のちに歴史となるもの)が決めているわけですから、

それを軽視することは実学さえも軽視する結果になりかねない。……かもしれない。(といいつつ、実学に偏りすぎた社会というのも1つの歴史になり得るとも考えられるのですが。)

 

結局「かもしれない」でしか語れないわけで、しかも何の根拠もない主張でしかないわけですが。

もしかしたら、こういう性格が文系学部不要論につながるのかもしれませんね。

 

少なくとも、私は(私は。ですよ)

今後私自身にもたらされる利益であるとか損得であるとかを考えて勉強しているわけではないし、学問における意味は自分がその学問を続けることによって見出していくものだと考えています。

社会のためになるのかという問いに関しては、そうであろうと努力しているとだけは言えるでしょうか。実際にどうかということは別問題として、ですが。

それだけは、私が自分自身で日ごろから考えていることとして確実なわけです。

 

とりあえず、こういうことを自問自答して、また自問自答して。

そういう毎日を送っているわけです。書きながら()でセルフ突っ込みを入れちゃうくらいには(笑)