【文系学部不要論】お前、それ将来何の役に立つの?って言われた話(ちょっと考えてみる)
お久しぶりです!Nikaです。
言い訳はしません。ただブログを更新する気が全くなかっただけです(笑)
今日は文系学部不要論について。
私は何にでも興味のある人なので、あらゆる人脈をつかって色々な話を聞くのが大好きなんです。
高専の友達に工学の話をしてもらったり、数学科の友達に数学の話をしてもらったり(Nikaは文系の人間ですが)。さすがに医学部の友達はいないので、話聞けないんですが。
私が外国語系の人間なこともあって、国文科の友達の話も全然違って面白いですし、経済系や政治系の人の考え方も考えさせられるものがあります。
ここまでが前提。
それで、先日福祉系の友人に文学や歴史学、文化人類学をしていると言う話をしたんです。情報は等価交換ですから、自分の話もある程度するのがいいと思ったわけですが、その子はすごく興味がなさそうで(ってそんなことどうでもいいですね)。
しかし、その友人から飛び出した一言。
「それ、将来何の役に立つの?」「意味あるの?」「社会のためになるの?」「得することって何?」
一言どころではないですが(笑)
1から10は語れませんが、実学志向の強い人ほど、文学や歴史学に興味・関心がない傾向にあるのかもしれないという印象を受けました。
ましてや、その子は福祉系。将来に直結する資格を取るために大学へ行っているわけですから、私のように資格も取れないのに文学や歴史をする人の存在自体を疑問に思っているとのことでした。
なるほど、確かに大学は就職予備校との批判が近年よく取り上げられています。
資格も取れないのに大学へ行くのは、社会にとって非効率かもしれない。もしくは、ただ遊ぶために大学へ行っているとも取ることができるかも。
だからと言って、文学や歴史学、文化人類学を蔑ろにしていいものでしょうか。
文学も含めた文化や歴史軽視は、国自体を軽視することに繋がらないでしょうか。
極端に言い換えれば、先人の行いや思想を学ばず、反省しないということにもなるかもしれません。
文化人類学だって、結局のところは異国の文化研究から自国の文化の自省へと行きつきます。
また、あまりにも文化や歴史を軽視する風潮が高まると、書物として書き残さなかったり(まずないと思いますが)、もしくは伝えていかなかったりして、未来へ自分たちの文化や歴史を継承しないようになるかもしれません(96%そんなことはないと思いますが)。
実学はその時に役に立つ。ですが、根底にはいつだって文化や歴史の流れがあります。何が実学であり得るかというのは、その時の文化や社会の様子、経済状況など(のちに歴史となるもの)が決めているわけですから、
それを軽視することは実学さえも軽視する結果になりかねない。……かもしれない。(といいつつ、実学に偏りすぎた社会というのも1つの歴史になり得るとも考えられるのですが。)
結局「かもしれない」でしか語れないわけで、しかも何の根拠もない主張でしかないわけですが。
もしかしたら、こういう性格が文系学部不要論につながるのかもしれませんね。
少なくとも、私は(私は。ですよ)
今後私自身にもたらされる利益であるとか損得であるとかを考えて勉強しているわけではないし、学問における意味は自分がその学問を続けることによって見出していくものだと考えています。
社会のためになるのかという問いに関しては、そうであろうと努力しているとだけは言えるでしょうか。実際にどうかということは別問題として、ですが。
それだけは、私が自分自身で日ごろから考えていることとして確実なわけです。
とりあえず、こういうことを自問自答して、また自問自答して。
そういう毎日を送っているわけです。書きながら()でセルフ突っ込みを入れちゃうくらいには(笑)